Chronus ~運命ときの牢獄 ストーリー

【プロローグ】 2055年 牢獄

 決して、広くはなかった。そして古く、暗かった。
朝からの雪で、外は白く凍えていたようだが、それすらも知ることが出来ないほど、深い。
長らく陽光を受けていない壁は青黒くひび割れ、至る所で不揃いのレンガが露出している。
空気は淀み、不快な湿気が纏わりつく。どこからか流れ出た水が、床を伝って茶色く足元を濡らしていた。
廊下は手掘りの洞窟を思わせ、広い間隔で壁にしつらえられた燭台には、粗悪なオイルランプの灯がちらついているのが、鉄格子越しにみえる。ここでは、もがき苦しむこと以外、生き抜く術は何一つとして無い。
 稀に、海岸に強く打ち寄せる波の音が聞こえることがある。海に近い場所なのだろうが、ここがどこなのか、未だに分からない。今は、水の滴る音が、どこか遠くから聞こえてくるだけだ。
西洋製の古い錠前は青く錆びつき、長らく開けられたことはない。鉄格子に付着した血痕が、オイルランプの灯りに赤黒く照らし出されている。
年老いた囚人は、薄汚れた毛布を頭から被り、隅でうずくまっている。力なく垂れおろされた手は皺がれ、枯れ枝のように痩せている。もう、既に死期を迎えている。
 年老いた囚人は、少しだけ顔をあげ、薄く目を開けた。そして、最後の息を長くついて、絶えた。
握りしめていたのか、生命が抜けた手から、写真が一枚はらりと落ちた。

 オイルランプの炎が、湿気を帯びた空気に反応して、ぱちりと音を立てた。
年老いた囚人は、その音で目を覚ました。小さな炎に、目を細める。暗闇に目が慣れるまで、しばらく待った。
 ここは、すぐに閉鎖されるだろう。囚人は、いなくなったのだ。あのランプも、もう灯されることはないだろう。そんなことを考えながら、ようやく慣れた目で、変わらない景色を見回した。傍らに落ちている写真を見つけ、拾いあげた。涙がひとすじ、頬を伝い落ちる。
 殺人犯として、今まで囚われてきた。しかし、それを知る人はいない。40年以上も続けた無実の訴えは、結局誰にも届くことはなかった。大切なものを、無意味に失った。消えるはずのない怒りと悲しみに、ずっと向かい合ってきた…この牢獄の中で。
 ふと見れば、壊れた懐中時計の秒針が、割れた風防ガラスの中で僅かに震えている。その鼓動は、手の平でも感じることが出来る。
「…戻ろうか」
 年老いた囚人は言いながら、時計を握りしめて立ち上がた。そして、錆びて汚れた鉄格子をすり抜け、出口へと向かった。
 振り向けば、座り込んだままで息絶えた、先程までの自分の姿が、冷たくそこにあるだけだった。

※このストーリーはフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、
実在のものとは関係ありません。