Chronus ~運命ときの牢獄 ストーリー

【依頼】2022年 指定場所

 2月の終わりだが、ひどい寒さだった。
丘を滑走してきた吹き下ろしの風が、すぐ先に見える海に白波を立てている。自然の地形を利用した公園だといえば聞こえはいいが、何もなく、長らく人が来た形跡も、手入れされた痕跡もない。足元の冬草には、自分の足跡以外、他人のものは見当たらなかった。
 突然の仕事だった。老人男性から、古い時計の修理を頼まれた。長らく、クロック・メーカー(時計技師)を放棄していた。故に、仕事を受けた自分自身に、戸惑いを覚えた。
 高い報酬だったことも相まって、その場で即答をしてから2カ月が経っていた。老人が指定した通り、日時を合わせてここに来たが、誰もいない。悪戯だったのだろうけど、それほど落胆はしなかった。もとより期待もしていなかった。こんなところに、時計などあるはずもない。馬鹿げた作り話に、まんまと乗せられてしまったという訳だ。
 風が更に強くなった。足元の冬草が、さらさらと乾いた音をたてている。
 海を眺めながら、しばらく物思いにふけった。体の芯にまで寒風が突き刺さり、その冷たさで我に返ったところで、自分を恥じて踵を返した。
そして、もと来たけもの道を戻ろうとした時、風に揺れる茂みの奥に立つ老人と、目が合った。

 老人の存在に驚き、全身に鳥肌が立った。身体は冷え切っているにもかかわらず、顔は紅潮し、額に汗が噴き出てきた。老人は、射るような目つきでこちらをじっと見ている。細くしわがれ、痩せた頬が老衰を強く感じさせた。一本の杖が、最後の頼りなのだろう。何とか立っていられるといった様子だ。
依頼主の老人だろうと容易に想像ついたが、くたびれた帽子の奥にある目は、異様な光を放っていた。
 老人は、突然背を向けて茂みの闇へと消えた。思わず老人の背中を追って茂みの中に踏み入った。
思った以上に中は暗く、最初に通り抜けた時とは、イメージがまるで違う。重たく垂れかかる木々が陽光を遮断し、堆積した湿った枯れ葉が、ひどい腐敗臭を放っている。
 こんなに暗かっただろうかと、目の動きだけで辺りを見渡しながら進んだ。
背後で風が舞う音に驚いて振り返れば、既に方角を見失っていることに気がついた。
もう、進むしかない。向き直れば、老人の姿が消えていた。
 よく見ると、茂みの奥に、無造作に石を積み上げた小山がある。枯草や低い落葉樹に覆われているとはいえ、明らかに異質な地形だ。まるで、小規模の円墳という印象だった。その小山の斜面に沿うようにして、小さな入口が見える。
 辺りを見回したが、やはり老人はいない。気配を殺すような動きで、ゆっくりと小山の入口に近寄った。錆びた鉄柵があったが、鍵は壊されていた。
 中は2メートル先ですら、真っ暗で何も見えない。かろうじて、通路が下に向かって続いていることが分かる程度だ。
 この奥に…時計があるというのか。
重たい鉄柵を引き開け、思い切って足を踏み入れた。生暖かい風が、暗闇の奥から吹きあがってきた。

※このストーリーはフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、
実在のものとは関係ありません。