12th
【失踪】
1991.7.15 少女

 長い髪の先から、打ちつける雨のしずくがしたたり落ちる。
気がつけばひとり、少女は雨の公園に立っていた。
 誰もいない広場には、暗い雨音がひっそりと響いている。

 少女の部屋で楽しく遊んでいた二人は、やがてえりかの癇癪(かんしゃく)が原因で、また喧嘩をしてしまった。
少女がなだめようとしたが、えりかは姉の話を何も聞かず、ついには部屋を飛び出していった。

 いつものことだと思い、少女は独りで本を読んで待つことにした。しかし数時間経っても、えりかが帰ってきた様子がなく、次第に心配になっていった。
 母親は、心配した素振りもなく、夕食を部屋まで運んできた。
えりかが帰ったかどうか、そっと聞いてみたが、冷めないうちに食べるよう促されただけで、返事はなかった。
 後ろ手に部屋のドアを閉める母親の背中を見送ったが、鍵をかける音が、今日に限っては聞こえなかった。

 いつも食事は温かく、美味しいと思っている。残すことは、ほとんどなかった。
 しかし食事は、朝晩問わず独りですませている。
母親が運んでくる料理を、自室の小さなテーブルについて食べるのだが、彼女にとっては、それが普通であり、そういうものだと、思っている。
 しかし、今日の夕食は、進まなかった。食べる気が全くしなかったのである。
 ベッドに腰かけ、しばらくドアのほうを眺めていた。
鍵をかける音がしなかったことが、気になっていたのだ。
壁の時計に目をやれば、午後8時になろうとしている。えりかが家をとび出してから、もう4時間が経とうとしている。

 母親が戻る様子はなかった。
 少女は、お気に入りのくまのぬいぐるみを小脇に抱えると、そっとドアノブを回してみた。
その小さい手では、少し重たい真鍮製のノブが、やがてゆっくりと回りだした。
 少女は躊躇することなく、ドアを体で押し開け、足早で一気に部屋を飛び出した。
階段を下りる途中で一度とまり、あたりの様子を見て玄関へとまた走った。広いリビングのお陰で、少女の気配は母親まで達することはなかった。

 今日も一緒に遊びにいくつもりだった、海の近くの公園。
途中で何度か振り返ったが、戻ろうとはしなかった。妹が心配で仕方がなかったからだ。
 きっと、妹はそこにいる。そして、自分を待っているはず。
見つけ出してほしいと、願っているはず!
 少女は疑うことなく、その公園を目指して走り続けた。

 すれ違う人や車もなく、強く降り出した雨が、少女の足音を消し、気配を隠してくれた。
遠くの雷鳴に驚き、覆いかぶさるような街路樹に心を折られそうになり、途中で何度か立ち止まった。
 しかし、もう振り返ることはなかった。

 そして、道に迷いながらも、ようやく公園入口まで来た。
こどもの足では、ひどく遠かったに違いない。少女は肩で息をしていた。
跳ねた雨水が、少女の靴を汚している。

 少女は一度振り返り、誰もいないことを確かめ、そっと公園に踏み入った。
 一歩、二歩、静かに歩いた。足元は暗く、濡れた芝生が少女のくるぶしまでを見えなくしている。
三歩、四歩、脚が震えた。暗闇という恐怖に、一瞬の後悔。
五歩目からは、速足になった。妹を探す強い心が、再び戻ってきた。

 しばらく進むと、広場の脇にあるポールライトの明かりが目に入り、ふと立ちどまった。
弱く細い明りの柱が、雨の筋を斜めに照らし、辛うじてレンガ敷きの歩道に到達している。

 その中に、レインコート姿の男が、黒く浮かび上がった。

12th【失踪】終

13th
【写真】
1991.8.25 母親

 多くを語らない担当捜査官は、ある写真をそっと母親に見せた。
そこには、見覚えのある「くまのぬいぐるみ」が写されていた。
ただ一つ、違う部分があるとすれば、くまの顔から胸元にかけて、赤褐色の血が大量に付着していることだった。
 すぐに察した母親は、その場で崩れ落ちた。少女の命が、既に消えていると悟ったのである。
 写真は、無情にも残酷な知らせとなってしまった。

 両手で顔を覆い、少女の部屋のデスクでひとり泣く日々が続いた。
あの時、主治医に内緒で、少女の部屋の鍵を掛けなかったのは、彼女自身なのだ。

 それは、少女をこの洋館から“失踪”させるためだった。
 病状も回復しないまま、この先もずっと監禁が続くのかと思えば、あまりにも不憫でならなかった。
少女が、本当の自分を見出せないままでいることが、悲しくてならなかったのだ。
 このままここで、生き続けることは到底できない…。どうしても、この境遇から、解いてやりたい。
その思いは、母親としての娘への最後の罪滅ぼしのつもりだった。

 この一ヶ月の間、無事に“救護”されたという知らせを、主治医に悟られぬよう、秘かに待っていた。
 来るはずもない知らせを…。

 母親と主治医は洋館内にしつらえた医務室にいた。
 主治医は、無言で首を横に振った。捜査は難航し、まったく進展していないのだ。
 8月に入ってからは、同じやり取りが続いている。母親は憔悴し、泣くことすらできなくなっている様子で、うつろな視線は宙を舞っていた。
 少女が失踪してからも、主治医は週に一回程の頻度で、洋館に来ていた。
母親のケアが目的であるが、訪問の度に捜査の進展について話すようにはしていた。

 主治医は、少女が失踪する直前の症状について、アンカー柄のループタイを少し緩めながら、彼女に説明をし始めた。特に少女の精神状態と、生活環境の変化については、十分に時間をかけて説明をした。
彼女の精神状態も芳しくなかったからである。
 彼は、少女の失踪は「衝動制御障害」によるものと結論付けた。自己制御を失い、幻覚を見た少女が、自発的に逃亡を計り、事故に巻き込まれた可能性が極めて高いのだと。

 気休めにもならない主治医の話など、どうでもよかった。
 あの写真で見たぬいぐるみの姿が、どうしても少女に重なろうとする。母親は頭の中で、それを必死に払いのけようとした。しかしそうすればするほど、後悔が心に重くのしかかってくる。
 そしてそれは、彼女の身体を蝕み始めていた。

13th【写真】終

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

プロローグ~1st

”ジャーナリスト”

あるジャーナリストとの出会い
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2nd~3rd

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8th~11th

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12th~13th

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いのちのゆくえ
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14th

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そして最終章へ
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STORY 12th 〜 13th